由美子さんからのお手紙
東京都 60代 女性
介護 ヘルパー
訪問介護
ケアレター
その人は、窓のない小さな部屋の中にいました。
かっぽう着をかけ、ベッドにちょこんと座って。
耳が遠いからと、筆談での会話でした。
大正うまれのその人は、口ぐせのように、「私は3回の戦争を体験したのよ」と青春時代の辛い思いを口にされました。
「頭のいい人は皆結核にかかったけど、私はかからなかった。入院ってしたことないのよ」
1年半前訪問を始めた頃のその人は、お元気で身の回りのことは自分でされていました。
夕方の30分の訪問は、水分補給と安否確認でした。甘酒がお好きでした。
暑い夏が過ぎ、年末年始もお一人で過されました。
少しずつ異変が起こるようになったのは、コロナが街を吹き荒れるようになってきた頃でした。
微熱が続き、部屋が暑いとエアコンのコンセントを、テレビ台に乗って抜いたり、フラッシュベルをとりはずしたり。
配食弁当をとり始めましたが、食欲も落ちていきました。それでも配食の配達員の人を「あの人いい人なのよ」と訪問を楽しみにされていました。
認知症があると言われたその人は、自分の意志をしっかり持っていました。
戦争を体験されたその人に「今の日本は平和になりましたか?」と聞いた時、「自分の意見を言えるようになったからね」とはっきりと言われました。
介護チームに不協和音が少しずつ生じてきました。それと同時にその人の体調が悪くなり始めました。お弁当は止められ、ヘルパーの手作りの食事は、少ししかめし上らなくなりました。
ゴミ箱の下の方に、よごれた下着をかくしてらっしゃる事もありました。
オムツが使われるようになりました。
訪問看護師さんが点滴をすることもありました。
あっという間にその人は寝た切りになられました。
ある日、オムツ交換に伺った私に、その人は強い拒否を示されました。「自分でやったからいい」と何度も言われます。
私は筆談で「オムツをとりかえさせてください」と書きました。
しばらく考えたあと、その人は、ふとんを指さしました。
私は汗を流しながら、オムツ交換をしました。
すると、その人は、手を合わせ「ありがとう ありがとう」と言われました。
食事も流動食でしたが、日を追うごとにめし上らなくなりました。
その人は長いこと食堂をやっていたそうです。定食などを、近くの税務署の人が食べに来ていた、と話していました。「よく働いた手でしょう?」としわだらけの手を見せてくれました。
間もなくその人は老人保健施設に入所されることになりました。今はどうしているでしょうか。
私に深々とおじぎをしてくれ 見送ってくれたその人。「ここら辺は不良が多いから気をつけて帰るんだよ」と言ってくれた声が耳に残ります。
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